LIFE DESIGN 公式ブログ

意によって作り出される

ウバーリ長者は

釈迦に声をかけました。

 

「あなたはなぜ、

些細な心の暴力や言葉の暴力よりも

実際の暴力を過小評価されるのでしょうか。

最も非難されるべきは、行いなのです。

私たちは師匠の指導を受け

不殺生と非暴力を貫いております。

なぜなら、行いの罪が非常に重いからです。」

 

『もし汝の仲間が

気づかないうちに虫を踏み殺して

しまったとしよう。

この行いの罪はどうであろうか。』

 

「それは仕方がないことであり

罪はあっても微罪です。」

 

『では、わざと踏み殺したとしたら

どうであろうか。』

 

「罪が重いに決まっています。」

 

『汝らは、行いの罪を最も重いとし

心と口の罪は軽いという。

ならば、故意か無意識かは関係なく

一様に『行いの罪が重い』と

答えねばならないであろう。

心こそがすべての源であるから

私は心を重視する。』

 

例えばケンカの場合も

まず「腹が立つ」「懲らしめたい」

という思い(意)が起こり

何かの拍子に「殴ってしまう」

のではないでしょうか。

 

心の中に悪意がなければ

悪しきことを行いません。

 

逆に心の中に優しさがなければ

親切にもできません。

 

心にあることが表に現れることを

仏教では『心身一如』と説くように

身・口・意は別物ではないとしています。

 

プロファイリングをしますと、

『舌禍』の課題を持つ方や

自分の正しさを突きつけて

人を攻撃する課題を持っている方に

よく出会います。

 

自身の課題が表に出るときに

頭を冷やすための時間をつくることや

その場を離れる、去るという改良が

必要になる方もいます。

 

持って生まれた本質は

縁と環境とタイミングが揃えば

現象として現れます。

 

心の中の意に任せて

口から暴言を吐く、怒りを顕にする、

批判をする、否定をすることで

現実を破壊することが続いてしまえば

平和なライフデザインは難しくなります。

 

持って生まれた本質は

後天的に律することでバランスを変えて

整えることが可能です。

 

釈迦は、

『人の宿命は変えられる』

と云います。

 

人は持って生まれたままの本質で

ずっと生きるわけではありません。

 

経験を重ねながらより良く

人生のバランスを変えていくことは

可能です。

 

自身の『意』を変えることで

あなたに起こる現象は

そのバランスを変えて行く・・

 

物事は意に基づき

意を主とし

意によって作り出される

 

釈迦は

誰の中にも『仏心』がある

とも説いています。

 

身・口・意の心身一如を

心がけてまいりたいと思います。

 

大切なことはいつだってシンプル。

どうぞ今をたいせつに。

 

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