LIFE DESIGN 公式ブログ

疑う心を手放す。

1人の比丘が

ある森の庭園で

瞑想に励んでいると

 

大変疑い深い女性が

やってきました。

 

彼女はそこで男性と

待ち合わせをしていたのですが

男性は現れませんでした。

 

あちこち歩いていて

この瞑想に励む比丘を見つけました。

 

「この人は本当に

修行をしているのかしら?

外見だけ立派に見せて

本当は中身は何もないのでは

ないかしら?」

 

周囲に誰もいなかったことや、

待ち合わせた男性が現れなかった不満もあり

比丘の心を惑わせてやろうと思い

比丘を誘惑し始めました。

 

それをみた比丘は

彼女を哀れみつつも

心が乱れてしまいました。

 

釈迦はその様子を察知し

比丘に次のように云いました。

 

静かなる森に住むは愉し

世人

ここに楽し混ざれど

離貧(りとん)の人

ここに楽しむ

愛欲を求めざればなり

 

世間の人々が追い求める

快楽というものは

比丘の中には存在しない。

比丘は世間の人々の

味わうことのできない安楽を

森の中で楽しむのである。

 

猜疑心は

持って生まれたものではなく

生まれ育った環境や経験を通して

人の中に育っていきます。

 

人を信じることができない環境や

経験をすることは非常に辛いもの。

 

それまで、何度も裏切られたり

傷ついたりしたのかもしれません。

 

辛い経験を積み重ねることにより

物事の考え方が邪(よこしま)になり

強い猜疑心を持つに至ったのかもしれません。

 

彼女のように何でも疑ってしまう見方は

『邪見(じゃけん)』と呼ばれ

正しいものでさえ邪(よこしま)に

見えてしまうものです。

 

修行する比丘に出会うことは

善縁となります。

 

ですが彼女は

「疑いの目」によりその善き機会を

大切につなぐことができないばかりか・・

 

比丘を誘惑して

修行の邪魔をするという

悪しき行いまでしてしまいました。

 

「中本起経(ちゅうほんぎきょう)」

に、こんな教えが説かれています。

 

道を信ぜざる者は

たとえば 狂い咲きの華の落ちて

実をなさざるがごとし

 

せっかく咲いた花も

途中で落ちてしまえば

実を結ぶことはできません。

 

人生には辛い出来事が

起こるものですね・・

 

時には、その辛さから

心が歪んでしまうことで

猜疑心を生むことが

あるかもしれません。

 

ですが、この生命、

せっかくこの世に咲いた花ならば・・

 

人生の辛さは乗り越えて

その実を結ぶ道へと向かって

歩んで行きたいと思います。

 

大切なことはいつだってシンプル。

どうぞ今をたいせつに。

 

 

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