甘露の実。
あるバラモン(司祭階級)の農夫は
種まきの時期を迎えたときに
田を耕す農具を備え
村の人々を指揮して
忙しそうにしていた。
そこへ釈迦が
托鉢に来たのをみて
バラモンはすぐに近づいて
思うがままをハッキリと言った。
「沙門よ。
私は田を耕し、種を蒔いて
食を得ている。
沙門も自分で耕し蒔いて
食を得てはいかがか?」
『私も耕し、蒔いて、食を得ている。』
バラモンは戸惑い、また問いかけた。
「沙門の、
田を耕す農具や牛を見たことがない。
それなのに沙門は
“私も耕し、蒔いて、食を得ている”
と言うのか?」
釈迦はいつも、
対機説法と云われる説法で
人によって説き方を変えたと
云われています。
『信は私が蒔く種であり、
智慧は私が耕す農具である。
私は日々、身と口と意における
悪しき業を制する。
それは、私の田における草刈りである。
私の牽く牛は精進にして
行って帰ることはなく
行って悲しむこともなく
私を安らかな境地に運んでくれる。
私はこのように耕し、
このように種を蒔いて、
甘露の実を収穫する。』
批判する相手に腹を立てることもなく
戦うわけでもなく責めるわけでもなく。
ひとりひとりの立場に寄り添い
決して強要することもなく。
2500年の時を越えても
心に響く静かなる説法は
とてもシンプルなのに
とても深く響くものあり。
今夜も善き学びの夜となりました。
大切なことはいつだってシンプル。
どうぞ今をたいせつに。