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“怠りなく精進せよ”

釈迦の弟子に舎利弗尊者という

弟子がいます。

 

その舎利弗尊者に

チューラサーリという

弟子がいました。

 

チューラサーリは

ある病人に治療行為をして

そのお礼に多くの施しを

受けることになりました。

 

僧院へ帰る途中

チューラサーリは

師匠の舎利弗尊者に

出会いました。

 

自分がどのようにして

病人を治療して助けたのか

そのお礼にどれほど多くの

施しを受けたかを誇らしげに

話しました。

 

「師匠は今まで

こんなに多くの施しを

受けたことはなかったでしょう。

これからは弟子の私がいつでも

このようなたくさんの施しを

師匠にお届けしましょう。」

 

そう自慢げに云うと

食べきれないほどの

ご馳走を渡そうとしました。

 

しかし舎利弗尊者は

そのご馳走を受け取らず

何も言わずに去りました。

 

当時は出家者や修行者が

現代の医師や薬剤師のような

役割を担うことがありました。

 

ですが仏教における

出家とは俗世から離れ

日夜悟りを求めて行う

修行を意味します。

 

俗世のような行為は

戒められていました。

 

本来の比丘は出会う者の

布施の心を開くことを目的に

相手が功徳を積めるようにと

托鉢をして回っています。

 

それが施しとして

成り立つためには

「三輪清浄(さんりんしょうじょう)」

施し手・受け手・施し物の

3つが清らかなものであることが

必要となります。

 

釈迦はこの話を聴いて

次の偈を唱えました。

 

恥ずる思いなき 烏のごとく

尊大にて 慎み知らず

無遠慮にて 高慢な人

かかる人 この世に生きるは易からん

 

恥ずる思いありて

常に清流を求め

執着なく 慎み深く

清らかなる 真理を観る人

かかる人 この世に生きるは難し

 

烏は野生の鳥でありながら

人の暮らしに馴染み

人々の油断を見て取ると

ゴミ捨て場や畑を荒らし

餌となるモノを盗む行為を

繰り返します。

 

釈迦は烏の行いに

人の高慢な様子を喩えて

説いているのでしょうか。

 

また、

「四十二章経」には

以下のような教えがあります。

 

もし 人 過ちあらんに

自ら解して 非を知り

悪を改めて 善を行わば

罪の自ずから 消滅すること

病の汗を得れば

漸(ようや)く治るがごときのみ

 

過ちをおかしても

自分でそれを理解し

悪を改めて善を行うことで

罪を消滅することに努めよ

病気の時に汗をかくことで

そのときのみ漸く治るように

 

 

 

たとえ自らの弟子でも

その汚れた心や行為には

寄ることなく・・

 

舎利弗尊者は

チューラサーリから

無言で去りました。

 

自身の在り方を問い

自ら考えて我が身を振り返る機会を

いつも与えられていると感じます。

 

釈迦は涅槃のときに

見守る弟子たちに

最期にこう説きました。

 

万物は移ろいゆく

怠りなく精進せよ

 

大切なことはいつだってシンプル。

どうぞ今をたいせつに。

 

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